◆ 任用試験の「日蓮大聖人の御生涯(教学入門)」について、要点を述べています。
日蓮大聖人のご生涯について、任用試験では、特に重要なご事跡をおさえましょう。
本稿では、日蓮大聖人の重要なご事跡を紹介したあと、そのご事跡を含む「略年表」を掲載しています。
日蓮大聖人のご生涯(重要なご事跡)
文応(ぶんおう)元年(1260年) 39歳 7月16日
立正安国論(りっしょうあんこくろん)を北条時頼(ほうじょうときより)に提出し、諌暁する。直後に、松葉ケ谷(まつばがやつ)の法難(7月または8月)。
★立正安国論では、自界叛逆難(じかいほんぎゃくなん:内乱)と他国侵逼難(たこくしんぴつなん:他国からの侵略)を予言されています。
弘長(こうちょう)元年(1261年) 40歳 5月12日
伊豆に流罪される。
文永(ぶんえい)元年(1264年) 43歳 11月11日
小松原(こまつばら)の法難
文永8年(1271年) 50歳 9月12日
竜の口(たつのくち)の法難。10月10日、流罪地・佐渡に向かう。
★竜の口の法難で日蓮大聖人は、久遠元初の自受用報身如来という永遠の仏様としての本地を顕されました。このことを「発迹顕本(ほっしゃくけんぽん)」といいます!
★流罪地の佐渡では、「開目抄(かいもくしょう)」と「観心本尊抄(かんじんのほんぞんしょう)」という重要な御書を著されています。
文永11年(1274年) 53歳 3月26日
佐渡から帰還され、鎌倉に着く。4月8日、平左衛門尉(へいのさえもんのじょう)と会見、年内の蒙古襲来(もうこしゅうらい:他国侵逼難)を予言。5月17日、身延に入る。
★『平左衛門尉と会見、年内の蒙古襲来を予言』とは第3回目の国主諌暁(国主を諌めた!)
弘安2年(1279年) 58歳 9月21日
熱原の農民信徒20人が捕らえられる
日蓮大聖人のご生涯(略年表)
以下は、日蓮大聖人のご生涯の略年表です。重要なところ(前記の重要なご事跡)は、太字(色付)文字になっています。(下部へスクロール願います)
元号(西暦) | 聖寿 | 月日 | 出来事 |
貞応元年(1222年) | 1歳 | 2・16 | 安房国長狭郡東条郷の片海に御誕生 |
建長5年(1253年) | 32歳 | 4・28 | 清澄寺で立宗宣言 |
文応元年(1260年) | 39歳 | 7・16 | 立正安国論を北条時頼に提出し、諌暁する |
39歳 | 7・16 | 直後に、松葉ケ谷の法難(7月または8月) | |
弘長元年(1261年) | 40歳 | 5・12 | 伊豆に流罪される |
文永元年(1264年) | 43歳 | 11・11 | 小松原の法難 |
文永5年(1268年) | 47歳 | 10・11 | 十一通御書をしたため、各所に送る |
文永8年(1271年) | 50歳 | 9・12 | 竜の口の法難 |
10・10 | 流罪地・佐渡に向かう | ||
文永9年(1272年) | 51歳 | 1・16、17 | 塚原問答 |
2月 | 鎌倉と京都で内乱(二月騒動) | ||
2月 | 開目抄を著す | ||
文永10年(1273年) | 52歳 | 4・25 | 観心本尊抄を著す |
文永11年(1274年) | 53歳 | 3・26 | 佐渡から帰還され、鎌倉に着く |
4・8 | 平左衛門尉と会見、年内の蒙古襲来を予言 | ||
5・17 | 身延に入る | ||
10月 | 蒙古の大軍が九州を襲う(文永の役) | ||
弘安2年(1279年) | 58歳 | 9・21 | 熱原の農民信徒20人が捕らえられる |
弘安4年(1281年) | 60歳 | 5月~ | 蒙古襲来(弘安の役) |
弘安5年(1282年) | 61歳 | 10・13 | 武蔵国の池上宗仲邸で御入滅 |
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