座談会御書

創価学会(12月度座談会御書講義)檀越某御返事(2009年)一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず

檀越某御返事は12月度座談会で拝読する御書です。平成21年(2009年)12月の座談会で拝読する檀越某御返事は大百蓮華12月号の80ページから掲載されています。御書をお持ちの方は、御書全集1295ページ7行目から同8行目が「今回の檀越某御返事」の拝読範囲となっています。

『さで・をはするこそ法華経を十二時に行ぜさせ給うにては候らめ、あなかしこあなかしこ、御みやづかいを法華経とをぼしめせ、「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」とは此れなり(御書全集1295ページ7行目から同8行目)』

立宗宣言以来、世間の咎一分もないままに民衆救済の大獅子吼をされた日蓮大聖人は流罪・死罪の迫害の連続の御一生でした。今回拝読する檀越某御返事は佐渡流罪が赦免されて身延に入られた後、三度目の流罪が企てられる状況の中、弘安元年の四月に門下に与えられた御抄です。

信心の師匠が国家権力による迫害を受け続ける以上、その弟子たちへの迫害も必至であり、よほどの強い信心がなければ妙法を持つこと自体困難であることは想像以上でしょう。

そして、そんな健気な弟子達に対し、今回の拝読範囲では、たとえどんなに厳しい状況にあっても、主君に仕えることや日常生活自体が信心修行であると思って信心の一念で励んで行きなさいと仰せになっています。

信心根本に現実と格闘し、そこに勝利するところに苦難の現実を打開するカギがあるということです。池田先生は次のように明快に語っています。「人生は『現実』です。ゆえに、仏法の焦点も『現実』です。信心は『現実』を勝つためにある。娑婆即寂光です。『現実』から逃避するのは法華経ではない。『現実』を理想的なものに変革するのが法華経です。仏法は勝負です」と。

信心は実証を示すことが肝心とはいうものの、一度勝って実証を示せても現実との格闘は次々とやってきます。周囲に対して年がら年中、いつも良い格好ばかりはしていられません。要は、信心根本に現実と格闘する強い誠実な姿勢が周囲の人たちの心を打つのではないでしょうか。

私の職場の先輩に元広告代理店の社長で従業員を20人ほど使っていた人がいます。当時、得意先の大金持ちに創価学会の大幹部という人いて、この人に折伏をされ、広告欲しさもあって入信したものの、今は退会してから十数年がたつとのことでした。「現実と格闘して勝利できる力がこの信心にはある」ということがおわかりにならなかったようです。

今回の教学試験では「不軽菩薩(ふきょうぼさつ)」について学びました。不軽菩薩は全ての人に仏の生命があるとして「貴方を敬います」という礼拝行を行いました。その不軽菩薩がさんざんな迫害にあったのはなぜか?それは身分も境遇もいやしく馬鹿にされたからに他なりません。しかし、日蓮大聖人は不軽菩薩の実践こそ妙法実践の鑑であると言われています。

験範囲ではまた、煩悩即菩提を学びました。御義口伝に曰く「煩悩の薪を焼いて菩提の慧火現前するなり(御義口伝上P710)」とあります。悩みや苦悩という薪を祈りで燃やさないと成仏の境涯は得られないということです。反対に成仏の境涯を得るには煩悩こそなくてはならないものということであります。

不況がますます進行する昨今、日蓮大聖人の仏法を持った私達は、現在直面する現実の苦しみやその苦しみに喘ぐ(あえぐ)その姿をけして恥ずかしいとは思わず、むしろ原動力として、また悦びとして、勇んで祈り行動していきたいと思います。

以上が講義内容となります。

【その他、拝読関連資料など】

「法華経に云はく「皆実相と相ひ違背せず」等云云。天台之を承けて云はく「一切世間の治生産業は皆実相と相ひ違背せず」等云云。智者とは世間の法より外に仏法を行なはず、世間の治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり」(減劫御書)

願兼於業・諸法実相・三障四魔との戦い・三類の強敵との戦い・不軽菩薩の実践

<大聖人の「四度の大難」>
(1)松葉ケ谷(まつばがやつ)の法難(2)伊豆流罪(3)小松原の法難(4)竜(たつ)の口の法難・佐渡流罪の四つです。

<開目抄上203ページ>
乗の菩薩の未断惑なるが願兼於業と申して・つくりたくなき罪なれども父母等の地獄に堕ちて大苦を・うくるを見てかたのごとく其の業を造つて願つて地獄に堕ちて苦に同じ苦に代れるを悦びとするがごとし

<現代語訳>
例えると、小乗経の菩薩で、未だに、見思惑・塵沙惑・無明惑の三惑を断じ尽くしていない者が、『願兼於業』と申して、作りたくない罪ではあるけれども、父母たちが地獄に堕ちて大苦を受けている様子を見て、型を取るように父母たちと同じ業を作り、自ら願って地獄へ堕ちて苦しむことと、同じようなものです。そして、彼等は、父母たちの苦しみに代われることを、自らの悦びとしています。