元創価学会員の人が、今度は翻って、創価学会を攻撃する立場になるということが、昔からよくあります。それでも、ご本尊は大切にしていると言います。ところがそういう方々の多くは、創価学会員であった時より、あるいは全く、勤行・唱題をしていません。お題目をあげないと、創価学会員に登録されていても「信」を抱くことは困難です。
2022年4月12日(曜日)の「寸鉄」の内容は以下のとおりです。
三世の諸仏の智慧をかう
は「信」の一字なり―御書
信心は無限の希望生む源
「三世の諸仏の智慧をかうは「信」の一字なり」の引用元御書のページ▼
- 新版御書全集:1012ページ。
- 旧版御書全集:725ページ。
寸鉄(2022年4月12日)の引用御書名(題号)は?
引用元御書の題号は「御義口伝(おんぎくでん)」です。該当する部分の御文及び前後の流れは以下のとおりです。
三世の諸仏の智慧をかうは「信」の一字なり。智慧とは南無妙法蓮華経なり。「信」は智慧の因にして名字即なり。「信」の外に「解」無く、「解」の外に「信」無し。「信」の一字をもって妙覚の種子と定めたり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と信受・領納する故に、「無上宝聚 不求自得(無上の宝聚は、求めざるに自ずから得たり)」の大宝珠を得るなり。信は智慧の種なり、不信は堕獄の因なり。(新版御書全集1012ページ 2行目から6行目より引用)
新版御書全集を見ると、「三世の諸仏の智慧をかうは」の「かうは」の部分に、「替」の文字があてられていました。「三世の諸仏の智慧」に替えられるのは「信」の一字と。
以降、上記の拝読範囲を自分なりに読み解いてみます。
「信」は智慧の因にして名字即なり。・・・信ずることが、仏の究極の智慧の因となる。すなわち、修行の初期の段階であっても、生命に仏界を宿しているのである。
「信」の外に「解」無く、「解」の外に「信」無し。・・・信ずる以外に仏法への理解はあり得ない。
「信」の一字をもって妙覚の種子と定めたり。・・・信ずるということが、結局は、最高の仏の境地へ至る「種子」である。
今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と信受・領納する故に、「無上宝聚 不求自得(無上の宝聚は、求めざるに自ずから得たり)」の大宝珠を得るなり。・・・南無妙法蓮華経の妙法を信じ持つ(たもつ)ということは、すなわち、無上の宝を求めずして、自ずから得ることになるのである。
信は智慧の種なり、不信は堕獄の因なり。・・・謗法(ほうぼう)とは、正法を誹謗すること。それは、正法への「不信」から起こる。故に、不信は堕獄(無間地獄へ堕ちる)の因となるのだ。
思想・信教の自由があります。それはともかく、妙法への「信」が無いところに現出しているのが、「末法今時の世界の様相」であるということです。改めて、厳しい御文かと思います。しかるに、「信心」あるところ、それは、無限の希望の源泉であることを確信したいと思います。
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