平成24年(2012年)6月度の座談会御書は祈祷抄(きとうしょう)で、「大地はささばはづるるとも~」から始まる部分が拝読範囲です。
法華経の行者の祈りは必ず叶うがテーマ
拝読範囲のテーマは「法華経の行者の祈りは必ず叶う」ということです。必ず叶うという度合いとして、大地をさして外れるようなことがあってもと、現実にはありえない例を挙げられ、絶対に叶うとされています。ただ、叶う祈りとは、「法華経の行者の祈り」であるということです。故に、祈る本人が法華経の行者たりうることが肝心です。そして、法華経の行者とは何か。どういう行者なのか。このことを学び、実践の糧にすることが最も重要です。
祈祷抄(きとうしょう)の拝読範囲本文
『大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも・潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず(御書全集1351ページ18行目から1352ページ1行目より引用)』
祈祷抄(きとうしょう)の拝読範囲通解
たとえ、大地をさして外れることがあっても、大空をつなぎ合わせるものがあっても、潮の満ち干がなくなることがあっても、太陽が西から昇るようなことがあっても、法華経の行者の祈りが叶わないことは絶対にないのである
祈祷抄の背景と大意
祈祷抄は、日蓮大聖人が文永9年(1272年)に佐渡で著されて、最蓮房に与えられたとされていますが、定かではありません。当時の世相は天災続きの中、蒙古襲来の危機にさらされ、為政者たちはそれを逃れようと諸宗に祈祷を依頼するといった状況でした。これに対して日蓮大聖人は、法華経によってこそ祈りは叶うとされています。
法華経の行者とは
法華経の行者とは、末法の悪世にあって法華経の経文どおりに我が身を惜しまず妙法を弘める実践貫く人のことです。数々の命に及ぶ苦難・迫害にも屈せずに、妙法流布を進められた日蓮大聖人こそが「法華経の行者」であり、大聖人の戦いに連なる門下もまた「法華経の行者」といえます。
法華経の行者の信心とは、日蓮大聖人の門下の信心とは、それはどのようなものか。池田名誉会長は語っています。『法華経に勝る兵法は絶対にない|信心とは、御聖訓を勇敢に実践する力|信心とは、祈りを原動力として、社会で勝ち、成功して。所願満足していく方程|信心とは心の勝利のためにある。それは途中の勝敗ではない。心の勝利とは永遠の勝利の意義である』と。
法華経の行者であるためには(恩師の厳愛の指導)
以下は、池田名誉会長が「法華経の智慧」で記されている、戸田先生の指導です。祈りの叶う法華経の行者についての、厳愛の指導となっています。
『御本尊にご奉公もせずに、大病院ですら治らぬ病気を治せというのは横着すぎます。(中略)どれだけの人々を折伏したのか、支部をどこまで盛り上げたのか、よく反省しなさい。心を入れかえ、広宣流布へのご奉公ができたならば、私の命をかけて、必ず治ると申し上げます』
折伏の実践をし、広布の活動に積極的に取り組み、実証を示すことは。妙法の正しさの証明となるばかりでなく、創価学会の組織が日蓮大聖人に直結した信心の団体であることの動かしようの無い証明となる。そのように思いました。