今月、2013年9月度の座談会御書は持妙法華問答抄(御書全集467ページ17行目~18行目)です。
妙法を持った人の根本的な生き方を教えられた、問答形式の御書です。それは、信心の根本は自行化他の行動にある、人生最高の思い出を刻もう、と、テーマにあるとおりです。
持妙法華問答抄 拝読範囲本文
『願くは「現世安穏・後生善処」の妙法を持つのみこそ只今生の名聞・後世の弄引なるべけれ須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき(御書全集467ページ17行目~18行目)より引用』
持妙法華問答抄 拝読範囲講義
妙法を持つことこそ、人として生まれた今生の、真の名誉であり、来世への導きであると仰せです。
『妙法を持つ』とは、心一つに自身も妙法を唱え、他の人にもすすめていくことをいいます。折伏に仏法対話に励むことです。
さらに、心一つにとは、どこまでも御本尊根本、信心一筋でということです。
では、御本尊根本、信心一筋とはどういうことを言うのでしょうか。
それは、何があっても御本尊は絶対であると確信して、お題目根本に祈り行動していくことに他なりません。
『御本尊が絶対であると確信する』、ということは再三言われる心構えですが、『信心は心こそ大切』というご指導があるように、福運を積めるかどうかの重要なポイントです。
そこで本日は、今月9月の大百蓮華(2013年9月度)の21ページ、質問会からの「福運とは?・・・」をご紹介したいと思います。本当に重要なご指導です。
“福運とは、どういうものもなのでしょうか?”と質問した女子部員に、池田会長はー。
「福運は幸福の根本原則です。どんなに頭がよくても、どんなにいい家庭に育っても、福運がなければ不幸です。福運を積む源泉は、末法今時においては題目をあげる以外に絶対にありません。
福運がついてくれば依正不二です。まず境涯が広がってきます。それから楽しい。やることなすことが、なんとなくうまくいってくる。相が変わってくる。人との付き合いも、春風駘蕩(物事に動じないで余裕がある)としてくる。全部変わってきます。”絶対に自分は福運を積んでいるのだ!””御本尊を受持することは大福運長者なのだ!”と、この確信で生きるのです。
“病気が治るかな・・・・” “どこに就職しよう?” “試験に受かるかな、受からないかな・・・・”。
そんなことは断じてない。”御本尊を受持している福運ある自分だ、絶対、治るんだ、治るに決まっている!” “受かるに決まっている!”」ー。
これが因果倶時になるのです。それが福運を積むのです。また、積んだことになるのです」と指導した。
2011年8月度の座談会御書も同じところでした。
8月度(2011年)座談会御書の持妙法華問答抄講義録1
8月度(2011年)座談会御書の持妙法華問答抄講義録2
福運を積む源泉は題目をあげる以外に絶対にない。絶対に自分は福運を積んでいる。御本尊を受持することは大福運長者なのだ。との確信で生きることが福運を積むことになる。とのご指導です。日々新たな心で、確信に満ちたお題目に挑戦して行きたいと思います。
以上です。
【関連情報】
私たちが持つ御本尊は「観見の本尊」であり「信心の本尊」である(指導より)。
『信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり』(御書全集1,338ページ[生死一大事血脈抄]より)