座談会御書

創価学会(11月度座談会御書講義)曾谷殿御返事(2019年)此法門を日蓮申す故に忠言耳に逆う道理

2019年11月も私が御書講義の時間を担当することになり、以下のようにまとめてみました。

曾谷殿御返事の「いまだこりず候」

曾谷殿御返事の今回の拝読範囲は御書全集1056ページ13行目~15行目です。ここに、「いまだこりず候」との一節がありますが、11月度の本部幹部会に池田先生から寄せられたメッセージにも、「いまだこりず候の不屈の大精神」でと強調されています。大変に重要な部分だと思います。

曾谷殿御返事の拝読範囲本文

『此法門を日蓮申す故に忠言耳に逆う道理なるが故に流罪せられ命にも及びしなり、然どもいまだこりず候法華経は種の如く仏はうへての如く衆生は田の如くなり(御書全集1056ページ13行目~15行目)』

曾谷殿御返事の背景と大意

本抄は、建治2年(1276年)8月、日蓮大聖人が身延の地から、下総(現在の千葉県北部等)の曾谷教信ないしはその一族に送られたといわれるお手紙です。別名を「成仏用心抄」と言います。

曾谷殿御返事の講義内容

「忠言耳に逆う」、真心からの忠告の言葉は欠点や・過ちを鋭く突く故に忠告された方は素直になれない・・・。

諸宗が仏法の根本の師匠である釈尊を違えて阿弥陀仏や大日如来を信じ法華経を蔑ろにする過ちを指摘したがゆえに命にも及ぶ難に遭ったが、日蓮はいまだこりていないと宣言されています。

そして、南無妙法蓮華経は仏になる種であり、仏法を語ることは種を植える仏の行動であり、折伏を受ける民衆は種を植える田んぼの如きものであると仰せです。

※過日、11月度の本部幹部会同時中継に寄せられた池田先生のメッセージでも『いまだこりず候』を強調されていました(11/6聖教新聞3面)。

冒頭、池田先生は新時代を展望しつつ「日本の全方面、世界の全大陸の同志が、たゆみなく永続して進んでいけるように、私は祈り、心を砕き、指揮を執っております」と有難くも嬉しいお言葉から始まります。

そして、「御聖訓には『真実に一切衆生の色心の難を止める秘術は、ただ南無妙法蓮華経である』(1170頁通解)と断言されております」

「人類が渇仰してやまない、この妙法を、私たちは、さらに生き生きと、さらに勇気凛々と唱え、弘め抜いてまいりたい」

※では、どういう心で勝利していくのか。それは『不屈の心で勝て』と仰せです。

「大聖人が仰せの如く『いまだこりず候』(1056頁)との不屈の大精神で、幸福勝利の種を、いよいよ喜び勇んで蒔いていくことを、深く決意しあって、私のメッセージといたします」と。

南無妙法蓮華経の流布自体、仏法正統の実践ですが、末法・化儀の広宣流布にあっては、池田先生の指導の実践こそ、仏意に叶ったものと確信致します。

さて、仏法対話・折伏によって、衆生という田んぼ、すなわち、民衆の大地に仏になる種を植えるのだと、大聖人は仰せです。

仏種を植えても、直ぐ発心して直ぐ芽を出す人もあれば、なかなか聞き入れない人も多い。しかし、真心からの対話で、必ず発心する時が来るとも仰せです。

これは何を意味するのか。それは、もともと、民衆という大地には仏種を芽吹かせて成仏の大樹を育て上げる『栄養』が満々と湛えられている、ということに他なりません。

別の言い方をすれば、民衆という大地は、仏種植えて欲しい!折伏をして欲しい!といつも待ち望んでいるということです。

そして、仏の慈悲の眼には、このことが痛いほどわかるので、流罪・死罪にも及ぶ難を受けてもいまだこりず候と仰せになられているのではないか。このように思えてなりません。

実に、『みんなは僕等を待っている』ということであります。

どこまでも、成仏の要法・南無妙法蓮華経のお題目を根本に、勇んで、末法の民衆の期待に応えて参りましょう。

以上。