乗り越えられぬ試練はない、大確信を胸に勇敢に進もう!立正安国・広宣流布の戦いにあっては、何があっても「疑う心なく」前進です。このことを、2022年5月度の座談会御書から学んでいきましょう。
2022年5月度の座談会拝読御書は、「開目抄」です。この記事では、拝読範囲の研鑽や講義のために、御文の通解や仏法用語及び池田先生の指導などを紹介しながら、重要なポイントをおさえるようにしています。また、座談会拝読御書は、大百蓮華に掲載されるほかに、観点を変えた解説が「聖教新聞」にも掲載されますので、その掲載日もお知らせしています。
目次
(2022年5月度)座談会御書「開目抄 」の背景と大意
今回拝読する座談会御書「開目抄」の概要について述べます。
- 日蓮大聖人が著された時期(年代):文永9年(1272年)2月。
- 本抄を与えられた人物:四条金吾に託し門下一同へ。
本抄の背景や大意など
日蓮大聖人、51歳の御時、佐渡に流罪中の最中に送られた御書です。題号の「開目抄」については、一切衆生救済の大聖人の真実に「目を開け」とも拝察されます。
当時は、大聖人が佐渡に流罪となる中、門下にも、投獄・追放・所領没収などが相次ぎ、多くの弟子たちが疑いを起こして退転していく状況でした。
本抄では、佐渡流罪などを受けて、法華経の行者である日蓮大聖人に、なぜ諸天の加護がないのか、との世間の批判や疑問に、じゅんじゅんと明快に答えられていきます。そして、末法の御本仏としての大誓願をお示しになると共に、法華経の行者に具わる功徳と折伏の意義を述べら、「不退転」を勧めておられます。
開目抄の講義と2021年5月度座談会御書の研鑽
今回拝読する座談会御書「開目抄」の拝読範囲は
- 御書新版:117ページ7行目~9行目
- 御書全集:234ページ7行目~9行目
拝読範囲の本文
我ならびに我が弟子、諸難ありとも疑う心なくば、自然に仏界にいたるべし。天の加護なきことを疑わざれ。現世の安穏ならざることをなげかざれ。我が弟子に朝夕教えしかども、疑いをおこして皆すてけん。つたなき者のならいは、約束せし事をまことの時はわするるなるべし。(新版 御書全集117ページ7行目~9行目より引用)
拝読範囲の通解
私ならびに私の弟子は、諸難があっても、疑う心がなければ、自然に仏界に至ることができる。
諸天の加護がないからといって、疑ってはいけない。現世が安穏でないことを嘆いてはいけない。
私の弟子に朝夕、このことを教えてきたけれども、疑いを起こして皆、信心を捨ててしまったようである。
拙い者の習性として、約束したことを、いざという時には忘れてしまうものである。
拝読範囲の重要な御文と語句
今回の御文の中で重要な語句(仏法用語)は以下のとおりです。
天の加護:法華経の行者を守ると誓った諸天善神の加護のこと。
現世の安穏:法華経薬草喩品第5に、妙法を信受する人は、「現世で安穏」な境涯を得ると説かれている。
まことの時:物事がまさに現実になったその時。難に直面して成仏の機会を得た時を指します。
講義のポイントと解説
成仏のための要諦について、「諸難ありとも疑う心なくば」とされ、「まことの時」に「つたなき者」になってはいけないと仰せになっています。
凡夫が仏になる時には必ず「三障四魔(さんしょうしま)」が競い起こり、広宣流布の進展には「三類の強敵(さんるいのごうてき)」が出現します。
「凡夫の仏になる、またかくのごとし。必ず三障四魔と申す障りいできたれば、賢者はよろこび愚者は退く、これなり。(新版御書全集1488頁より引用)」
御文にも仰せのように、障りが出現することは仏法上の「理(ことわり)」であるのだから、諸天の加護がない、安穏ではない状況にあっても、けして「疑ってはならない」と仰せです。
むしろ、試練や困難に直面した時こそ、成仏するかしないかの「まことの時」と捉えて、勇んで前進することが肝心です。この信心の姿勢こそ、学会精神であり、今日の広宣流布進展の要諦もここにあるのです。
【まことの時】とは
- 三障四魔が競い起こった時
- 自身の宿命転換の時
- 広宣流布の活動がぎりぎり・絶体絶命の時
このことを心肝に染めて、「まことの時」に退いてしまう「つたなき者」には断じてなってはならないと仰せになっています。以下の記事では、さらに詳しく述べています。
⇒ 【開目抄】我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし
(2022年5月度)座談会拝読御書講義の聖教新聞掲載日
2022年5月度の座談会拝読御書の講義については、【5月1日付け】の聖教新聞にも解説などが掲載されています。
聖教新聞の講義では、「仏性を呼び覚ます 人間革命の劇を」との呼びかけの下、「苦難は“生命鍛錬”の好機」、「常に誓いに立ち返る」ということを述べています。また、池田先生の指導の中から、「どこまでも不退の信心を貫いた時に、本来自身が持っていた仏と同じ智慧と勇気と慈悲の大境涯を現していける」、「自分の仏性を信じ、人々の仏性をも信じて行動し抜いていく。このような精神革命の時代を築いていくこと自体が、実は、広宣流布にほかなりません」と、広宣流布の本質にも触れられています。
「開目抄」での池田先生の指導及び所感・感想・決意
以下は、「開目抄」における、池田先生の御指導です。
苦難は、人を強くします。
大難は、信心を鍛えます。
難に挑戦して信心を鍛えぬけば、わが「己心」に「仏界」を現わしていくことができる。
大難が襲ってきても「師子王の心」で戦い続ける人は、必ず「仏」になれる。
日蓮大聖人の仏法の真髄は「信」即「成仏」です。
以上(『池田大作全集』第34巻「開目抄講義」より引用
まさしく、「以信得入」であり、「信」なくして仏法はあり得ないとのご指導です。その他の「開目抄」に関する池田先生のご指導には、以下のようなものがあります。
【開目抄講義より】
“今が「成仏への時」ではないか!この大難を突破すれば、永遠の幸福を成就することができる!”との大聖人の魂の叫びが伝わってきます。何があっても疑わない。何が起ころうとも嘆かない。その強靭な魂を持った人は、何も恐れるものはない(『池田大作全集』第34巻268頁)【人間革命の宗教より】
この「我並びに我が弟子」との呼び掛けには、いかなる大難が競い起ころうとも、「我が門下よ、二陣、三陣と続きゆけ」との万感の思いが込められていると拝されます。大聖人と同じ心に立ち「日蓮が一門となりとをし」(御書全集1360頁・御書新版1791頁)た時、すでに「成仏への道」、即「使命の大道」は広々と開かれているのです。(『人間革命の宗教』298頁)【開目抄講義より】
どんな苦難も恐れない。どんな困難も嘆かない。雄々しく立ち向かっていく。この師子王の心を取り出して、『宿命』を『使命』に変え、偉大なる人間革命の勝利の劇を演じているのが、わが久遠の同志の大境涯といえます (『池田大作全集』第34巻253頁)【御書と未来へ より】
広宣流布・立正安国は、人類の幸福と地球の平和への遠大なる挑戦である。御本仏直結の戦う誓願の題目を轟かせ、我らは誇り高く勇猛精進するのだ。 世界が渇仰する妙法の慈愛の陽光を放ちゆこう!目の前の一人を誠実に励ましながら(聖教新聞2022年4月21日付)
【関連記事】2022年5月度の座談会御書「開目抄」講義
大百蓮華掲載の2022年5月度の座談会御書「開目抄」の講義について、池田先生の御指導をふまえつつまとめてみました。以下にご紹介しているのは、過去の座談会御書の講義に関する記事となります。
- 【減劫御書】8月度座談会御書の講義(2021年)治世産業とは?地区部長他担当者へ!
- 【四条金吾殿御返事(煩悩即菩提御書)】9月度座談会御書(2021年)強盛の大信力!地区部長他担当者へ
- 【4月度座談会御書】四菩薩造立抄(2022年)講義のポイント|日蓮がごとくにし候え