座談会御書

創価学会【9月度座談会御書講義】経王殿御返事(2022年の聖教新聞も参照)

2022年9月度の座談会拝読御書は、「経王殿御返事」です。この記事では、拝読範囲の研鑽や講義のために、御文の通解や仏法用語及び池田先生の指導などを紹介しながら、重要なポイントをおさえるようにしています。

今回の拝読範囲のポイントは、「勇気ある信心の実践」です。

また、座談会拝読御書は、大百蓮華に掲載されるほかに、観点を変えた解説が「聖教新聞」にも掲載されますので、その掲載日や概要もお知らせしています。

(2022年9月度)座談会御書「経王殿御返事」の背景と大意

今回拝読する座談会御書「経王殿御返事」の概要について述べます。

  • 日蓮大聖人が著された時期(年代):文永10年(1273年)8月15日(御歳52歳)。
  • 本抄を与えられた人物:経王御前の親にあたる信者。

本抄の背景や大意など

幼い我が子(経王御前)の病気平癒の祈念を大聖人にお願いした、そのことに対するご返事が「経王殿御返事」です。

「経王殿御返事」全文の大意・概要は以下のとおりです。

経王御前の回復を諸天善神に一日中、祈っている。御本尊を我が身から離さず受持していくようご指導。

この御本尊は、正法・像法時代に誰も顕したことのない未曾有(みぞう:これまでに全くない)の本尊である。

大聖人がご本尊を認める姿勢とは、「師子王は、前三後一と申して、ありの子を取らんとするにも、またたけきものを取らんとする時も、いきおいを出だすことは、ただおなじきことなり。」とされ、「師子奮迅の力」である、つまり、、大聖人が全生命を注いで御図顕されたのが、この御本尊であると仰せ。

「また、この曼荼羅能く能く信ぜさせ給うべし」とし、御本尊を強盛に信じていくならば、諸天善神に守られ、福徳あふれる幸福境涯を開いていけることを教えられ、「南無妙法蓮華経は師子吼のごとし」とされています。

「この曼荼羅能く能く信ぜさせ給うべし」とされたことを受けて、御本尊の偉大な功力を引き出すのは、「受持する人の信心」であると仰せ。

※ この「受持する人の信心」について【つるぎなんども、すすまざる人のためには用いることなし。法華経の剣は、信心のけなげなる人こそ用いることなれ。鬼にかなぼうたるべし。】とされているのが、2022年9月度の座談会御書の拝読範囲となります。

「仏の御意は法華経なり、日蓮がたましいは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし。」とされ、御本尊は、大聖人の仏界の生命をそのまま御図顕されたものであり、大聖人の魂は「南無妙法蓮華経」以外のなにものでもないと断言。

最後に、信心を奮いおこしていくよう呼び掛けられ、御本尊に祈っていくならば、どのような願いも成就しないわけがないと励まされて、本抄を結ばれている。

※ 病気平癒の祈念をお願いされた大聖人ですが、ご自身が平癒を祈るのは当然とされた上で、祈願成就の有無は、ご自身の「信心」のいかんであるとされています。大聖人の仏界の生命をそのまま御図顕された「御本尊」も獅子吼のごとき「南無妙法蓮華経」も、勇気ある信心、健気な信心があってこそ、はじめて、その偉大な功力を出すことが出来るとされています。

改めて、拝読範囲の本文を見て参りましょう。

経王殿御返事の講義と2022年9月度座談会御書の研鑽

今回拝読する座談会御書「経王殿御返事」の拝読範囲は

  • 御書新版:1,633ページ 5行目~6行目
  • 御書全集:1,124ページ 10行目~11行目

経王殿御返事の本文(拝読範囲)

ただし御信心によるべし。つるぎなんども、すすまざる人のためには用いることなし。法華経の剣は、信心のけなげなる人こそ用いることなれ。鬼にかなぼうたるべし。(日蓮大聖人御書全集 新版 1,633ページ 5行目~6行目より引用)

経王殿御返事の通解(拝読範囲)

ただし(御本尊に偉大な功力があるといっても、それを現すのは)御信心によるのである。
剣なども、進もうとしない人のためには役に立たない。法華経(御本尊)という剣は、勇敢な信心の人であってこそ役立てることができるのである。まさに鬼に金棒である。

経王殿御返事の重要な御文と語句(拝読範囲)

けなげ:勇ましく勇敢であること。心掛けが、しっかりしていること。

経王殿御返事の講義のポイントと解説

「祈りとして叶わざるなし」の偉大な御本尊も、その力用を発揮させていくためには、「勇気ある信心の実践」が不可欠である、ということです。

勇気ある信心とはどういうことか?

南無妙法蓮華経の御本尊の功力を信じて、日々、唱題に励む私たちですが、大聖人は「行学の二道をはげみ候べし。行学たえなば仏法はあるべからず。我もいたし、人をも教化候え。行学は信心よりおこるべく候。力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし。(御書全集新版1,793頁より)」と仰せです。

様々な環境・立場にある私たちが「我もいたし、人をも教化候え」とのご指導を実践する上で、勇気なくして、それは不可能であることは、良くわかっているはずかと。

なので、「経王殿御返事」の拝読を機に、今また、勇気を奮い出す決意をして参りたいと思います。

(2022年9月度)座談会拝読御書講義の聖教新聞掲載日

2022年9月度の座談会拝読御書の講義については、【9月4日付け】の聖教新聞にも解説などが掲載されています。

  1. [池田先生の指針から]日蓮仏法の魂は「勇気」
  2. 「師子王の心」で広布と人生を開く「けなげなる人」に
  3. 「師子王の心」で広布と人生を開く「強盛な祈りと行動」

以上が、聖教新聞紙上での講義の項目となります。

日蓮仏法の魂も、「勇気」であります。「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」(全1282・新1675)と、明快に断言されている通りであります。との、池田先生の指導が身に沁みます。

「経王殿御返事」での池田先生の指導及び所感・感想・決意

第二代会長・戸田先生の指導:「仏法の真髄は慈悲であるが、凡夫においては、勇気をもって仏法を実践していくことが慈悲に通じる。仏は『慈悲』で、凡夫は『勇気』で人を救っていくのだ」

池田先生の指導:「長い広宣流布の道程にあっては、幾多の苦渋の嵐を受けるのは、御書に照らして当然の理(ことわり)なのであります。しかし、私どもには信心がある。信心とは勇気であります。幾多の大偉業も、すべて、この勇気という一点から実現したことを忘れてはならない。勇気のなかに真実の信仰があり、無限の希望と成長があり、時代の変革と新世紀への前進があるのであります」

「凡夫は『勇気』で人を救っていくのだ」、また、「幾多の大偉業も、すべて、この勇気という一点から実現した」とのご指導ですが、これはまた、世間・社会の道理でもあることに気付かされました。

2022年9月度の座談会御書「経王殿御返事」講義のまとめと関連記事のご案内

大百蓮華掲載の2022年9月度の座談会御書「経王殿御返事」の講義について、池田先生の御指導をふまえつつまとめてみました。

ウクライナ侵攻をはじめ、社会主義国家の指導者たちが、核の脅威を後ろ盾に随所で暗躍せんとする国際情勢にあります。

核廃絶は結局無理・・、といった諦めを口にする人もいます。

しかし、「社会主義国家の指導者たち」は、けして諦めることなく、自らの際限のない「支配」を画策し続けています。その為には、自国民の命さえ、易々と奪っています。

「諦めを口にする」ということは、このような彼らに「屈服」するに等しいのではないでしょうか。また、第三者としての発言であれば、あまりに愚かな発言ではないか・・。

そのように思えてなりません。

以下にご紹介しているのは、過去の座談会拝読御書のまとめ記事です。